13(最終) 希望をもっていまを生きる
2歳の9月頃、この先について夫婦で意見が分かれた。幼稚園に行くかどうか?という問題である。私は、たとえ歩けなくても、同世代と関わりをもちいろんな刺激を受けて欲しい。自分も歩きたいと気持ちになり、意欲が湧くのではないかと主張した。妻は、私の気持ちは分かるが、免疫力が低いために保育園では風邪をはじめいろんなウィルスを貰ってくるので、心配の方が強いと主張した。二人で話し合っても意見がまとまらない。まずは、幼稚園の受け入れが可能かどうかを聞くことにした。幼稚園にアポを取り、直接、園長に状況を話す機会を設けていただいた。
「今までに数名の障がいを持った子どもの受け入れはしたことがある。加配職員で対応できる。流行りの風邪や、集団感染などが流行りだしたら休んで良い。」と返答をもらい、園内を説明して貰った。常設の机はなく、教室は広い空間だった。これならかりんは這って移動できる。年少部屋の廊下を挟んで前の部屋は広いお遊戯室であり、ここでも動き回れるだろうと思った。二階へはエレベーターであがれる。年中、年長の部屋と屋上でのプール等ができるようになっている。一通りの説明を受け、園長や先生方の対応や、園の空間から、妻も納得し、幼稚園に願書を届けた。説明会の訪問時にはかりん、咲太郎も一緒に行った。二人でおもちゃではりきって遊んでおり、かりんは通う気が満々だった。
秋が深まり、冬を迎えると風邪が流行る。かりんは外出する機会はあまりないが、咲太郎が小学校から風邪などのウィルスを貰ってきてしまう。免疫力が低いかりんは、その都度体調を崩してしまう。痰が絡む咳をしだすと片肺で生活しているので、息がしづらく酸素飽和度が下がる。気管支喘息となり、少しの風邪すら命取りになるため、入院せざるをえない。痰がなくなり、退院するのためには早くても一週間を要する。秋から、春先までは、いつ体調を崩してしまうか?常にヒヤヒヤしている。
幼稚園に入園するとすぐに慣れ、友達もたくさんできた。子どもの順応性には驚かされる。かりんはもとより、周りのお友達がかりんが立てずに、這って移動していることに関係なく接してくれている。かりんは、そんな幼稚園が生きがいのようで、定期受診や、リハビリで幼稚園を休むこと、幼稚園がない土曜、日曜、祝日になると残念がっていた。
しばらくすると園長より、「かりんちゃんのクラスは、助け合いの気持ちが育っている。全クラスにその意識が伝わって欲しい」と話してくれた。どういう事か?尋ねると、「かりんちゃんは立てないし、歩けない。みんなと同じ椅子ではなく、座位が保てないため、椅子の両サイドに肘掛けがついている。クラスの園児たちは何も言わなくてもかりんの椅子を持ってきてくれる。それだけではない。活動でかりんちゃんが機能的に難しいときは気にかけて手伝ってくれる。遊びでは、かりんちゃんを主体とする遊びを考える。一緒になって遊び、生活すると自ずと園児たちは、考えて行動しているようだ。障がいなんて関係ない。ひとりの友達として気にかけ、支え合って生活してくれている。」園長は、そんな一人ずつの主体性に感動されていた。
心のバリアは、どのくらいの年齢から構築されるのだろうと、考えさせられた。
以前は、かりんが周りの友達と違うと、成長と共にショックを受けることがあるだろうと辛く思っていた。入園前に妻とは、周りと違うことを気にかけていた。「なんで歩けないの?」など、周りから言われるのが親として正直怖かった。かりんは、傷つくだろうし、どのようにフォローしたら良いのか…?と考えていたのだ。振り返ってみると、私たち大人が勝手に壁を作っていたのだと反省した。
幼稚園の活動は多い。お遊戯や、遠足、発表会などがあり、どれも楽しんで取り組んでいる。発表会では、先生の言われた通りの動きを行なっている。家に帰っては、キラキラとした目で幼稚園での出来事を逐一報告をしてくれる。 10月は、かりんにとって初めての運動会だった。みんなと同じ競技を行なった。障害物競争では、這って移動するかりんのため、コースに敷物を敷いて移動できる工夫が施された。段を超えたり、網をくぐったりと腕の力で必死に取り組んでいた。最後はダンボールで作られた的をボールを当てて倒す障害物だった。座ったままボールを投げるが、的に当たらなかったり、的には当たるが力が弱く倒れなかったり…とハラハラしながら私は見ていた。やがて周りの親御さんたちが応援してくれた。やっとの事で、的が倒せたときには会場が拍手や声援で湧き、涙を誘った。かりんの成長がヒシヒシと感じられ、あの感動は忘れられない。
かりんは、何の因果か小児がんを患った。良性に向かいつつも腹部から下に麻痺があり動かせない状態だ。ちょっとした風邪でも命の危険があることから、気持ちは休まらないことも多い。だから、だからこそ、「今、この時間を!」を大切に過ごしたいと心に誓っている。ただハンディキャップをおっているだけで、恥ずかしくも隠すこともない。行動範囲が周りより少ないかも知れないが、それ以上にいろんなところに連れていったり、より多くの体験を得られるようにしている。出来ないではなく、どうやったらできるか?それに代替する何かを見つけ、今を強く生きて欲しいと切に願っている。
「共に成長し、共に生きる。」
これが私の信条だ。病気、障がいなど、代われるものならすぐにでも代わってやりたい。命に代えたっていい。今まで仕事ばかりで家族を放っていたことがほとんどだった。かりんが病気をしたことによって家族の絆、大切さ、そして周り方からの多くの支援、いたわりの声をかけてもらった。一人では何もできないのだ。周りの支えがあったからこそ今まで過ごせたことが存分に分かった。
「 かりんは3度成長する」このブログを開設するにあたって浮かんだ言葉だ。まず、病気が見つかるまで何気ない生活を送り、普通に成長していたころ。やがて、病気を機に歩けなくなり、排泄も自分でできなくなった。抗がん剤治療を行い、また、歩けるようになり、排泄もできるようになったのもつかの間、また、歩けなくなり、排泄ができなくなった。この間、3度の手術を受け、ガンの治療中でもかりんは気張って成長していた。これからは、治療が終わりいよいよ3度目の成長になる。幼稚園含めて多くの方に囲まれ、精神面の成長もみられる。そして、リハビリを家族と共に日々取り組んでいる。
今日もかりんは、「いま」を懸命に生きている。
わたしには夢の中で繰り返しみる光景がある。
手をつないで家族が一緒に歩いているようすだ。
いつか実現したい。
かりんへ
きっとではなく、必ず立って歩ける。 一緒に成長しよう!
武志、圭子、咲太郎より
おわりに
応援してくれた方、同じ境遇で悩んでいる多くの方々に、今度は、私たち家族がご恩をお返しする番であることを伝えたくブログを開設しました。長々と読んで頂きありがとうございました。これからもかりんの成長をアップしていきます。共に、立った、歩けたなどの喜びの報告ができる様に気張りますので、引き続きよろしくお願いします。最後に、身の回りの世話など、絶大の支援をしてもらった両家の親。病気のことや、リハビリ方法、相談などでお世話になっている大西先生、仕事でお世話になったみなさま、幼稚園、小学校、近所の方々…本当にありがとうございます。
最後にこのブログを作成するにあたって、背中を押し、私の想いを編集していただいた蓜島 一匡さま、ありがとうございます。家族共々、大変感謝しております。
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