12 3度目の手術
手術の翌日は、私が仕事のため京都に帰る日だった。面会日でなく、帰りまで時間があったので妻と新宿をブラブラと歩いた。二人で出かけるのは、実に久しぶりだ。雑貨屋で可愛らしいピンキーリングを見つけ妻にプレゼントした。そのリングを見るといまでも当時の気持ちが浮かび上がる。お昼は、ビルの上階にある店で新宿駅を見下ろしながらパスタを食べた。 話す内容はかりんのこと、咲太郎のこと、これからのこと。しっかり向き合い、落ち着いて二人で話ができてよかった。かりんに会えないまま、東京を後にした。新幹線の車中で、かりんの状態を妻にメールで尋ねると「元気にしている」と返信がきた。麻酔がきれると痛みがあるようで、ときどき泣いている。写真付きのメールが届いた。まだ体に管が付いている状態で痛々しい。けれど、かりんの顔には笑みがあった。
東京の病院での入院は三週間ほどで、手術の傷が完治する手前で退院した。 新幹線で京都駅まで帰ってくるため、車を走らせ、笑顔での再会を期待しかりんを待ちわびていた。職場からも2名がぬいぐるみを用意して待ってくれていた。その方はいつも私たち家族のことを気にかけてくれていた。咲太郎を祇園祭やUSJに連れて行ってくれ、よくしてもらいほんとに感謝している。改札を出て、「おかえり、よく頑張ったね」と声をかけるもかりんは、愛想ない。出迎えてくれた職場の人には申し訳なく思えた。場所見知りをしていたのだろう。
勝手な事ではあるが、退院してからの治療は府立病院にお願いした。特に、妻は府立病院に絶大な信頼を寄せていた。先生、看護師さんによく看てもらっており、心の安寧が図れるからだ。
家では、足をさする、他動的に足を動かし拘縮(こうしゅく)予防をしたり、マッサージ機で刺激をしたりと、いろいろとネットで調べながらどうしたら神経が通うかを模索していた。動いてる!と思いたいが反射の反応であったり、足がピクッと動くだけで嬉しく思えた。抗ガン剤を投与して良くなってきた時も徐々に足の動きが見られたのを目の当たりにしていたので、少しの反応は常に期待してしまう。
排泄は、自力ではできないので、導尿を一日3回、と浣腸を行なった。まだ幼いので歩行、排泄は将来どうなのだろうか?と常に不安に思っていた。先のことは、いまは考えないでおこうと思うのだが、どうしても頭をかすめる。やがて背中の傷も癒え、神経芽腫の一連の治療は、ひと段落した。二週間に一度の定期受診では、採血や状態観察を行い、在宅生活を送る。免疫力が低いため、風邪をすぐひきやすく、様子を伺いながら外出した。人混みはできるだけ避けたい。 また、肺の背中側に大きな腫瘍があるため、左側の肺を圧迫していた。右側の肺と左側上部の肺で生活している。
3ヶ月後の定期受診で聴診されると、先生より、「腫瘍が大きくなっているのではないか?心臓に接している可能性があるかもしれない」と伝えられた。東京の大学病院で手術の際に、背骨以外の腫瘍の部位は取り除く必要は無いと言われた。今回は、府立病院での見解も一緒であったので安心していた。状態も安定してきたところで、体に影響が少ないように、腫瘍の摘出手術の話が浮上してきた。無理なことはせず、取れる部位をなるべく取り除くことができれば、悪性腫瘍も少しはなくなり、腫瘍マーカーも減るという見解だった。先生も手術に対して心配はない様子であり、摘出手術を決めた。手術は1ヶ月後に決まった。
手術当日、かりんは可愛らしい動物の柄の手術服で愛くるしく笑っていた。毎度のことながら、その姿に涙が出る。今回は、手術室の中まで妻が抱っこして見送れた。手術室の途中で看護師さんが待っており、そこでかりんを渡し、かりんは抱っこされながらこちらを向いて手を振った。前回と違い、寂しそうに連れられていく。姿が消えるまで手を振りあった。3度目の手術だが、慣れるものではない。今回は、横向けになって、1回目で切った左肩甲骨辺りから再度メスが入る。麻酔をかけると筋肉や、筋繊維が緩むため、主で動いている右肺に大きな腫瘍がのし掛かり、呼吸困難となるため、人工心肺をつけての手術だ。だいたい4時間くらいの手術と聞いていた。待ち合い室で夫婦で待機していた。
緊急なことがあれば連絡が入るのと、人工心肺がついて手術を始めるときにも一度、妻の携帯電話に連絡が入るように、打ち合わせをしていた。10時の手術が始まる前にかりんは、麻酔で眠っていた。どの様な状態なのか?気にかけながら、連絡を待った。だいたい1時間ほどで人工心肺をつなぐと説明を聞いていたが、1時間が経っても連絡がない。2時間半が経っても連絡がなかったので、「もう手術は始まってるんやなー、大丈夫かなー」と話していた。忙しくされていて、連絡忘れてるのだろうと思っていた。3時間半ほど経ったとき、妻の携帯電話がなった。「終わったー」と思いきや、「人工心肺がつけられない、相談したい」とのことだった。これまでの治療で、首から投薬するためにブロビという管を入れたために血管が細くなり、人工心肺が入らないとの説明があった。人工心肺なしでも手術は大丈夫だと思うと打診があり、先生に全てを任せた。再び手術がはじまり、終わったのが夜の8時。約10時間、麻酔にかかりながら小さな身体でかりんは気張った。
手術が終わってから先生に状態を聞くと、腫瘍全体の4分の1くらいを取り除いたと報告をうけた。本来ならもう少し、取ろうと思っていたが…と先生が悔やんでいた。かりんのために、長い時間にわたり無事に、取り組んで頂き、感謝している。 執刀医は、いつも定期受診で気にかけてもらっている話しやすい先生だった。
かりんは、PICUで寝ていた。目を覚まし、親を確認すると「ママ~」と泣き出した。 状態も安定しながら手術後の処置も終わり、元気に退院した。髪の毛がほぼ生え揃ってきた。
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