11 手術当日
前日の晩は、緊張して寝られなかった。妻は、きっと私よりもいろいろ考えていたのだろう。あえて聞かなかった。 朝一の手術のため、病棟には早めに着いた。面会時間の前に部屋に入らせて貰えた。部屋に入ると、周りは赤ちゃんが泣いていたが、かりんはキョトンと手術服を着ておとなしく座っていた。
いよいよ来る日が来た。できればしたくない。けれど、将来の期待にかけた。 手術服を着るかりんの姿を目にすると複雑な気持ちで胸がいっぱいになった。 主治医の先生が来られ、かりんに「かりんちゃん、元気かな?今日は、よろしくね!」 私たちには「おはようございます。今日はよろしくお願いします。ともに頑張りましょう」と挨拶される。先生はそれだけ言って部屋を後にした。私は、言葉より、先生の表情に安堵感を得られた。
かりんは、移動ベッドで病棟から手術室まで運ばれる。部屋を出る前にかりんを抱え、言葉には出さず「気張ろう」とギュッと強く抱きしめた。 もしかしてこれで命が終わってしまうことはないか?と頭を一瞬かすめた。 とりあえず、気張って欲しいと強く強く願った。 手術室に移動する間、ベッドを夫婦で囲み、妻はかりんの手をしっかり握って離さない。私は、ただただ、かりんを見守っている。あっという間にエレベーターに着いた。手を強く握り、手を振った。かりんは、以前の手術と同じ様に笑顔で手を振りかえし、エレベーターの中に消えていった。ドアが閉まると涙がとめどなく溢れた。 やる事はすべてした。後悔は何もない。吉報を待つのみ。そう自分に言い聞かせた。
手術時間は長かった。 待合室はなく、終わったら妻の携帯電話に連絡が入ることになっていた。手術が終われば通ってくるであろう、先ほど別れた3階エレベーター前のベンチで待っていた。背中側は、ガラス張りで、眼下に手術室があった。手術室は全てカーテンが閉まっており、全く中が見えない。手術室に向かって無事を祈り続けた。 待つ間、お昼をまたぐが食欲はわかない。妻が地下のコンビニでおにぎりを買ってきてくれたのを一個食べたと思う。記憶があいまいだ。合わせて妻が買ってきた本を二冊読んでかりんを待つが、手術のことで頭がいっぱいで活字が入ってこない。尾木ママの子育てについての本と、健康食の本を読んでいたことをなんとなく覚えている。
夕方前に、妻の携帯に連絡が入った。無事に手術が終わりICUにいるとのこと。 直ぐにICUに行き、かりんを見つけた。 酸素マスクをつけ、身体中にはいろんな管がついており、麻酔も効いていて寝ていた。かりんの温かく柔らかな手を握り、長時間気張ったかりんと、その姿に安堵して涙が出る。ホントに頑張ったな!よく乗り越えた…と。 主治医より手術の報告を受ける。「背骨にある腫瘍は全て取り除いた。」とレントゲン写真を見ながら説明が続いた。「背骨の両端を割って背骨の上部を取り除いて腫瘍を取ることを検討していたが、側湾のこともあり、左側の背骨だけを割ってそこから腫瘍を取り除いた。今の時点で、神経が通っているかは分からないがしばらく様子を見ましょう。」 ホントに有り難かった。手術の日も相談しに訪れたところからすぐに都合をつけてくれ、今日を迎えられた。安心して手術に臨めるように、親の目線でいつも自分の娘に置き換えて話をして貰える先生にとても感謝している。身体は大きく、威圧感はあるものの細かな配慮、口調の優しさ、なによりも人柄を頼ることができた。
ICUに戻ると、かりんはまだ目を瞑っていた。手を握ると握り返してきた。少し目があく。 気づいたのか?「ママ〜」と泣く。元気に泣き、安心するとまた、涙が出る。その場から離れたくなかったが、面会時間が迫っていた。まだ泣いているかりんに申し訳ないと思いながら部屋を後にしなければならなかった。ガラス張りで仕切ってある部屋にはベットが4台ある。すべて埋まっており、小さな赤ちゃんが多かった。横には親が付き添っていた。みな温かい眼差しだった。同じ様に面会時間を迎えると、部屋を出るときには赤ちゃんが泣き、仕方なく部屋を後にする親も泣いていた。
私の親、妹に連絡し、手術のことを伝えた。そして、義理の母に電話し、かりんの手術のことを伝え、咲太郎のようすを聞いた。「咲太郎は、元気に遊びまわってる」と。咲太郎も気張ってるな!
その晩、ホッとしたのと、緊張が少し持続していたため、とりあえず落ち着きたい思いで私はビール、妻は酎ハイを買って部屋で飲んだ。 「とりあえず良かった。」と心が解放され、他に話したことは覚えていない。
緊張感がほぐれ疲れたのだろう、すぐに眠りに落ちた。
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