10 手術を前に、それぞれの決断。
いよいよその時だ‼︎ 手術の日が目前に迫って来た。
手術を待つ間、少しでも腫瘍が小さくなって手術の必要性がなくならないか…?と毎日願っていた。
手術が必ず成功するように家族四人で大阪の石切神社へお参りした。祈祷では、かりんに白い掛物が首からかけられた。周りは年配の方々がほとんどで若いのは、かりんだけ。「なんでこんな目になったのだろうか」とその姿を見ながら涙が出そうになった。かりんは、ケロッとしていた。咲太郎は、境内が不思議でキョロキョロと落ち着きない様子だ。祈祷後、家族みんなでお百度詣りをした。
とうとう東京へ向かう日がきた。咲太郎は義理の母に預け、私と妻とかりんで東京へ向かう。 京都駅の新幹線ホームで待っていると、見たことがない奇抜な黄色い新幹線が通りすぎていった。 ドクターイエローだ!
走行しながら、さまざまなセンサーを使って電気設備や軌道設備の状態を計測し、整備に活かす。いわば「新幹線のお医者さん」だ。珍しい電車なので、一気に人が群がり写真を撮っていた。 咲太郎に見せてあげたかった。きっと喜んでだろう。 以前から、二人でよく京都駅で入場券を購入し、新幹線を長い時間見ていた。咲太郎は、使い慣れないカメラで新幹線を撮っていた。時折、ホームの発車時刻を示す掲示板に回送というのがあると、ドクターイエローが来るのかも…と二人でドキドキしながら待っていた。一台も見たことがなかったけれど。 だから、余計に咲太郎に見せたかった。 そんなこともあり一番、私が喜んでいた気がする。 運の良い電車に出会え、幸先よく東京へ向かえる。
乗車予定の新幹線が京都駅のホームに入る。今回も、11号車の多目的室を手配した。部屋に入り、ひと段落するとかりんは、パン屋で選んだサンドイッチを満面の笑みで食べ始めた。まるで旅行気分だ。。。東京に着き、大学病院に向かった。手術は2日後に控えている。 病院に入り、入院手続きをするのに時間がかかる。1日の中で大勢の人が入退院をしており、目まぐるしい。 病室の説明を受け、かりんは、よそ行きの服から白い入院着に着替えさせられた。 親は付き添いできないようになっており、面会時間が決まっている。初めてかりんは、親から離れることになる。 面会時間が終わり、部屋をあとにするとき、かりんは大号泣だった。後ろ髪を引かれる思いだ。
泊まりは、手術の相談をした時に利用した、「アフラック ペアレンツハウス」にした。 その夜は、手術を前に緊張していたのか?夕食はあまり食べられず、口数も少なかった。 かりんを置いて病院を後にしたのが気にかかっていた。。 次の日、面会時間まで時間があったので、ペアレンツハウスの談話室で妻と朝ごはんを食べ、ゆっくりコーヒーを飲んでいた。 そこに、上品なお母さんが隣の席に座って朝ごはんを食べ始めた。挨拶を交わし、話を聞くと、娘さん(大学生)が癌でかりんと同じ病院に入院している。 さらに掘り下げて聞くと、娘さんは、大学のバスケ部に所属しており、足の痛みから悪性の腫瘍が見つかったそうだ。検査の結果、手術をしないと命がなくなると診断された。腫瘍は神経に絡みついていた。神経を含めて取り除く手術をすると生涯歩けなくなり、車椅子になってしまう。唐突に人生を揺るがす診断を受けた本人、家族の心境は計り知れない。
娘さんはいつもは、バスケの試合に家族を誘わないが、最後の試合には、「今までの頑張りを見て欲しい」と招待された。試合後、バスケができた喜びと家族に感謝の気持ちが伝えられたそうだ。手術の前日、娘さんが、お世話になった足に「今までありがとう。」と泣きながら撫でている姿を、お母さんは、見るに耐えなかったそうだ。 聞いている私も涙が溢れた。彼女は、将来、看護師さんになって当事者のケアをしたいという。志を持って患者さん目線で寄り添える、素晴らしい看護師さんになることを心の中で期待した。
病院でお世話になっている先生は、偶然にもかりんと同じ先生で、お互いグッと心が通った。どんな先生か?聞いてみると、「深い人情味があって、娘はこの先生だから決心して手術に応じた。私も先生からの言葉をかけられて心が救われた。先生の前では笑顔で話せる。」と語られた。私は、大きく頷いて共感した。 この先生で良かった。 ありがたい縁で感謝だ。この日の朝ごはんの情景は、今でもはっきりと覚えている。
病院に向かう。面会時間前に病棟に着くと、多くの人が並んでいた。時間通りの面会なので、どの親御さんも待ちわびているのであろう。 かりんの部屋は、大部屋で、真ん中にベッドがあり、周りに5台くらいのベッドがある。いずれも0、1歳くらいの赤ちゃんだ。かりんに会いに行くと満面の笑顔を見せてくれた。看護師さんによくして貰っており、かりんも懐いている。手術の説明を外科、小児科、麻酔科、薬剤師などから受ける。主治医も都合をつけて話に来てくれた。ゆったりとした対応で、とても安心し、先生にすべてを委ねられた。 手術は、朝早くからであり、次の日に備えた。
0コメント