2 突然の新たな日常
市立病院から府立病院へ転院した。
早速MRIなどの精密検査が始まる。幸運にも主治医は、神経芽腫専門にしていた。病気の詳細な説明を受け、多くの症例を担当しての見解を伺った。回復している事例や一歳前からの処置なら予後も良い傾向であることなどを聞いた。安堵した。その言葉に未来をのせたいと強く願った。
検査結果は、市立病院の先生から聞いた内容の通りだったが、緊張を強めたのは腫瘍のステージだ。 一歳になるかどうかのため判断するのが難しいそうだ。結果が出るまでの二週間、何をしていても結果が気になり、良くない事ばかりが頭をよぎる。考えて夜もなかなか寝付けない。離れての生活となり、夫婦の情報交換はメールとなった。お互いの不安を埋めるかのように文字を交わし合った。
弱めの抗ガン剤治療が始まった。抗がん剤治療の目処は、半年から一年とされた。
かりんの病状とともに、咲太郎の事が特に気になった。かりんが入院し、妻は看病に専念した。咲太郎は、妻に甘えたい年頃であるがかなわない。テレビ電話でやりとりするのがせいぜいだった。
検査入院から、気を落ち着ける間も無く家族が離ればなれになった。今まで、何気なくともに食卓を囲み、他愛もない話をしていたが、家にいるのは咲太郎と私。
11月中旬、冬の足跡が近づき余計に男二人の生活が寂しい。入院後の日常はこんな様子だ。日中は仕事をして、帰りに入院しているかりんの様子を見に行き、妻から一日の様子を聞く。その後、妻は咲太郎とすごし、私は病室でかりんの面倒を見る。洗濯物を預かり21時30分に帰宅する。食事は、惣菜か外食、ときおり自炊か義理の母が作ってくれたものだった。洗濯、掃除は、私が毎日行うことになり時間の段取り組み直した。妻の日々してくれていたことにありがたみを強く感じるとともに、以前まであったあたりまえの日常が遠くなっていった。
1コメント
2017.08.31 14:52