5 抗がん剤治療
抗がん剤治療をはじめてから半年を迎え、三種類目の抗がん剤投与がはじまった。この薬は、免疫力が低下し、感染症に特に注意が必要という事で、感染回避の部屋に移動する。看護師より、食事時間の制約、排泄後の手洗い消毒の仕方、リネンの交換、身の回りの整理整頓など、徹底的な指導があった。
部屋が変われど、かりんは点滴を繋がれたまま、椅子からの立ち上がり、ベッド柵を持って掴まり横移動。ベッド内をウロウロ、ソワソワと動いている。排泄もオムツ内で薬の力を頼らず自分でできている。髪の毛は、頭頂付近はほとんどない状態であり、鳥の雛の様であった。一歳半となり単語を並べ喋っている。いつもニコニコと親を癒してくれ、愛らしい。 抗がん剤治療も残り三ヶ月になった。
四人部屋の同室にはとても仲良くして貰ったお姉ちゃんや、そのお母さんがいた。お姉ちゃんたちは、白血病の治療している。かりんは一歳半でまだ小さく、周りではアイドル的存在であり、チヤホヤされている。お母さんたちからもとても可愛がって貰い、かりんはお返しに笑顔を配っている。
同室の家族同士で仲が良く、とても良い環境で居心地が良かった。 周りのお姉ちゃんも抗がん剤治療や、骨髄検査をしたりと闘病している。髪の毛が薄くなってるのであろう、みんなニットの帽子を被っている。午前中、小学生は、病院内の学習指導室に通っている。かりんはその間、プレイルームでオモチャで遊んでいた。 周りのお姉ちゃんたちは病状も安定してきた様子で、主治医が家族に説明をしていた。一時帰宅、一時退院の話しが出るたびに喜びの声があがった。喜ばしい話を聞いて、かりんは、まだかな…?と羨ましく思った。
三ヶ月後、抗がん剤治療も終盤となり、状態は良くなってきている。MRIでは明らかに腫瘍が小さくなっていて、脊髄内の腫瘍が神経付近から遠のいている。画像を通して良くなってきている事が確信できた。カンファレンスルームにて主治医の先生、整形外科の教授より、良い方向に向かっていると笑顔で話をしてくれた。9ヶ月前から、このカンファレンスルームは涙を流す場所となっていた。それからは抗がん剤治療により落ちた免疫力の回復のため、新たな薬を投与する日がしばらく続いた。一時退院できる数値が示され、それに向かって徹底的に衛生面を整えた。
目標の数値に近づき、いよいよ一時退院の日が近づいてきた。私はもちろんのこと、妻、咲太郎も心待ちにしていた。咲は、家に帰ってきてかりんに喜んでもらえるように、「部屋飾りをしよう、かりんの絵を描くわー」と意気揚々。家族みんなで焦る気持ちを抑え、受け入れる準備をした。待ちに待った一時退院の日。家族の前では涙はこらえたが、洗面所で涙を流し、顔を洗った。
今までで一番幸せを感じた日だった。約9ヶ月の離ればなれの家族が一緒になれた。以前の当たり前の光景だが、大きな幸せに包まれた。 その晩は、一家四人でパーティーをした。子供たちは妻の近くで寄り添い、私は召使いのように物を取りに行く役目をした。家族みんなで同じ屋根の下で寝ている。朝起きれば咲太郎とかりんが寄り添って寝ている。懐かしい姿だ。日中、咲太郎はかりんとずっとオモチャで遊んでいる。 かりんは、子供用の押し車を押して家の中をフラフラと歩いている。
この時の動画は、今では宝物である。
投薬の都合で一時退院は、1泊2日であり、今後も体調が良ければ、隔週の土日で継続的に外泊が許された。この状況が3ヶ月程続いた。しかし、一時退院は毎回できる状態ではなかった。採血で免疫力の数値を調べるが、上がっておらず見送る事が何度かあった。一時退院日の前日は、ギャンブルみたいに一か八かの判断を迫られ、緊張していた。
一度は、かりんの数値は帰れる状況にあったが受け入れる家にいる咲太郎の調子が金曜日から良くない。受診をすると水疱瘡だった。見送っておいて良かったとつくづく思った。かりんと共に過ごしたかったが、無理な状態で受け入れ、感染症や、風邪にかかってしまうと、すぐに命に関わる事なので、焦らず慎重なるように心がけた。
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