6 希望と絶望
週末の一時退院を繰り返しながら 3ヶ月が過ぎた。いよいよ退院の話が出てきた。待ち望んでいた日だ。 主治医、整形外科の教授より説明を受け、「良くなって来ている」と笑顔で伝えられた。先生からの提案で、この神経芽腫の状態をより詳しく知るために、取れる腫瘍を取り除き、分析するための手術を勧められた。レントゲン撮影をし、腫瘍に流れている血管など、様々な情報をもとにした。一抹の不安はあったが承諾した。
後日、手術の説明を外科の先生より受け、「女の子だから、傷が目立たないところからします」と気遣ってもらう。身体にメスを入れるのに不安はあるが、腫瘍の状態も知りたい。複雑な気持ちであった。やはり、娘の身体にメスは入れたくなかったが、必要な事であると自分に納得させた。整形外科の先生から念入りに手術の内容を聞き、あとは任せるだけであった。
手術当日。可愛らしい手術用の衣服を纏う姿を見ていたたまれない気持ちになった。これからの手術の事を分かっていないあどけない娘を直視できない。朝一の手術。手術用の移動ベッドに乗せられニコニコと笑っている。手術室に入ると看護師さんが笑顔で迎えてくれた。かりんは看護師さんに抱っこされ、こっちを見てバイバイと笑顔で手を振る。無垢な娘の笑顔に胸打たれ、涙が溢れる。無事に終わるとは思っているが、辛い気持ちが湧いて来る。手術時間は6時間。長い。待合の部屋で気紛らわせに妻と借りて来た映画を見ていたが、内容は頭に入らない。
手術が終わったと待合部屋にコールが入った。急いでかりんのいるPICUに行き、口に酸素をあてられ、寝ている姿を見る。穏やかに目をつむっている。見ているだけで心苦しい。執刀医、整形外科の先生より、手術経過を聞く。「無事に手術は終えた」とのこと。左肩甲骨辺りから20センチほど、骨に沿ってメスを入れ、腫瘍は15センチほどの大きさのものが取れた。写真を見せてもらったが腫瘍か何か分からず、ホルモンみたいなボコボコした形をしていた。切った腫瘍の一部を専門の腫瘍センターに出し、状態を見てもらう。
PICUの面会時間は決まっている。手術後、麻酔から目が覚めてから夫婦で会いに行くと、「ママ!」とかりんは顔を見て涙を流す。痛いと言うか、寂しかったのだろう。身体をギュっと抱きしめられないので、手を強く握り返した。 PICUでは、好きな動画を流してもらっている。面会時間にかりんに会いに行くといつも「アナと雪の女王」が流れていた。その映像を見る度にかりんのPICUの状況が思い出される。PICUは、一週間ほどで出て、その後は外科の病棟で看病を受ける。感染棟のお姉ちゃん家族と離れて残念であった。
ボチボチと退院の話が出て来た。
外科の教授、主治医から「順調に行ってる。良くなって良かった。」と話された。退院予定の二週間前、妻が「最近、かりんがあまり動きたがらない。」と言い出した。確かに動きが緩慢な感じはしていた。手術後であったのと、手術により、体力が落ちたのだと思っていたが、やはり常に関わってる妻は分かっていた。
立つ事も少なくなって来た。便秘もしている。日が経つにつれて悪化している。立つどころか?足を踏ん張らなくなり、しばらくすると足がブランブランになった。排泄もできなくなっている。入院した当時に戻っているのだ。
その旨を主治医に相談すると、腫瘍が良性化し、分化(繊維質が大きく膨れてきている)との見解だった。「良性に向かいつつあり、以前みたいに抗がん剤を投与しても小さくならない」と返答があり、頭が真っ白になった。 「今までは何やったんやろー、喜びは束の間、一気に悪夢に引き戻された。ほんのひと時の喜びだったのか。」夢であって欲しかったが、残酷にも現実だった。
いよいよ退院の運びとなる。腹部から下は麻痺の状態であるが、生きていることに感謝する。やっとの思いで、 待ちわびた家族水入らずの生活が訪れた。退院日の晩はビールが美味しかった。安堵感からか?すぐに寝ついた。
家に戻ってからもしばらくは服薬する事となった。可能性を求めて先生のもしかしたら?と言う思いで、保険外の薬で「レチノイン酸」と言う大人が飲むにも大変な大きな粒の薬が提案された。保険外であり、かなり高いお薬であったが、薬を飲む事で前みたいに歩ける、自分で排泄できるのであれば…と金銭のことは頭から外した。
藁にもすがる気持ちであり、可能性があるのなら何でも試したい気持ちだった。届いた薬は想像以上に大きく、1粒1センチほどもあるアメリカンフットボールみたいな形のカプセルだった。それを1回に2つ飲む必要がある。大きな粒だけに薬を飲ませるのはかなり困難であり、朝、夕後の服薬は格闘だった。かりんもその度に「イヤやー」と号泣した。カプセルは飲み込むまでに潰れると効果がなくなるため、投薬する際に顔を抑えて、喉の奥に薬を詰め込み飲ませる。ときには、口に入れると歯で薬を噛み薬が潰れることもあった。毎回、拒否するかりんの抵抗で指には噛まれたあとが残った。
そんなやりとりを見て、妻は「見てて可哀想でそんな事できない」ともらし、服薬は私が毎回行なっていた。2ヶ月試したが、結果は出なかった。元の木阿弥である。 夫婦して絶望した。
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