7 暗闇から光を求めて!

歩ける様になった矢先、立てなくなり、腰が座らず座るのも手の支えが必要の状態になった。「立てた、歩けた」と大喜びしたのもつかの間、一気に落胆した。追い討ちをかける。


退院前に腫瘍の性質を知るための病疫検査を行うに際して、レントゲン、MRI、エコーを撮り大人の拳くらいある腫瘍をできるだけ取り除いた。しかし、切り取って無くなっていたはずのスペースに再び腫瘍がMRIにクッキリと映っていた。主治医より「腫瘍がまた大きくなっている。腫瘍マーカーの数値は減りつつあるが、コブ(腫瘍)が元に戻っている」と。入院当初に頭をかすめた、最悪のケースになりつつある。


二つの選択がある。一つ目は、成長と共に脊椎が大きくなると、腫瘍からの圧が下がり、脊椎の中の神経が通る可能性を待つこと。もう一つは、背骨を割る手術をして腫瘍を取り除き、神経への圧を回避すること。ただ、後者は、絶対にしたくなかった。八椎にまたがり、手術をすると側湾になり前後左右に背骨が曲がってしまう。女の子であり、避けたい。 


何とかならないか? 


サイトや、本、同様の症状を示したブログなど、さまざま見てみたが光は見えない。 セカンドオピニオンを受けてみようと知り合いの看護師に、「整形外科の分野で日本のなかで良いところを教えて貰いたい」と相談してみた。彼女は、以前、病棟でかりんの看護と妻の心の支えでお世話になった若い看護師だった。かりんが入院してから半年くらいで東京に転勤していた。 


返答は、「東京の某大学病院か、九州の神経を専門にしている病院が良いのでは?」とのこと。早速、その大学病院をホームページで調べ、小児外科の先生にメールをしてみた。「対応してみると」の返信があった。 

 

セカンドオピニオンを東京の大学病院に決め、予約を取り家族で京都から東京に向かう。咲太郎は、電車が好きで新幹線に乗ることをいたく喜んでいた。はしゃぎ過ぎたのか?乗車して30分くらいで寝てしまった。かりんは、賢く大人しくベビーカーに乗ったり、妻の膝上に座ったりしている。


東京に、家族で行くのは初めてで、せっかくなので楽しみもあった方が良いと思い、咲太郎のリクエストのディズニーシーに行った。ダッフィーが欲しかったようだ。 アトラクションには、乗らず雰囲気だけを楽しんでいた。 ディズニーキャラクターがいると写真を取りに行くが、学生服を着た修学旅行生と写真撮影の取り合いになった。子供二人のナイスショットを収めるのに一苦労した。かりんはカメラを向けられると常にピースサイン。楽しい時間を過ごせた。その晩は、都内のホテルに泊まり、翌日の大学病院に備えた。 

 

大学病院に行くとセカンドオピニオン用の部屋に案内して貰い、指定時間ピッタリに始まった。はじめは、がっしりとした、背の高い先生に圧倒された。話していると凄く人間味があり、頼りになる先生であると感じられた。先生にも女のお子様がおられるそうで、自分の身に置き換え、こちらの意見を汲み取ってくれた。 やがてハッキリした口調で先生から提示された。 


「この状態で待っていても良くならない。神経へのダメージが強く長引くと信号が通らなくなる。このままでは本末転倒である。背骨を割る手術しかないがするならば今すぐにでもした方が良い。だが、現在は、手術待ちがあり早くても3ヶ月後になる。状態が状態なのでなんとか調整はしてみる」 


重い課題を突きつけられて病院を後にした。


帰りの東京駅で、1時間半くらいを咲太郎の電車熱を解消するために費やす。東京駅には、たくさんの見たことのない特急、北陸新幹線、東北新幹線など見て回る。カメラを持ってホームを行き来し、はしゃいでいる。 


かりんは、あまり興味がないのにベビーカーで連れまわされていた。知らないうちにお気に入りの小さなブランケットを失くしてしまいショックを受けていた。3月の半ばだった。



夫婦でセカンドオピニオンの事について話す。

背骨を割る手術はしたくはないが、しないと良くならないという現実を突きつけられた。妻は絶対したくないという。私も同感だ。しかし、手術をするならば判断は急を要する。突きつけられた現実から目を背けたいし、成長と共に背骨が大きくなり神経の圧が軽減して欲しいと強く願いたい。娘の将来が、親である我々に委ねられている。


あどけない表情の娘。今は何も分かっていないが、将来、側湾の可能性が強く、周りの目が気になったり、イジメられたり、何気ない一言を言われ、傷ついたりするのが怖かった。そんな人生にさせたくない。 


人生最大の究極の選択。


自分の身体であればまだしも、まだ小さな娘の生涯にかかわることだ。 時間が解決することはなく、逆に時間が迫まってくる。 


この現実から逃れたかった。 


かりんは三度成長する

小児がんを宣告された娘。父である私と家族の闘病の日記です。

0コメント

  • 1000 / 1000